浜松は出世の街【徳川家康と豊臣秀吉ゆかりの地】

自由

時には神頼みや験を担いでみることもありますね。そんなときにおすすめのひとつが、元城町東照宮です。

元城町東照宮は浜松にあり、その浜松は天下取り武将・徳川家康のゆかりの地です。これは家康が29歳から45歳の17年間過ごしたからです。今回の元城町東照宮は、家康が浜松に来て浜松城が築かれるまでの間過ごし、更に16歳の豊臣秀吉が18歳まで住んでいたことのある引間城跡地です。出世の街・浜松にあり、天下取り武将の2人が過ごしていた場所ということで大きなパワーがあります。

ではまず出世の街・浜松と呼ばれていることについて⇒

徳川家康は17年間浜松で過ごしその間には、1570年の浜松城築城や家康にとって最大の敗戦と言われている「三方ヶ原の戦い」など苦難も経験しながら天下取りへ進んでいきました。この経緯から浜松城は出世城と呼ばれています。また家康の後に城主となった人物たちの多くは、江戸時代に幕府の要職「老中」や「京都所司代」などに抜擢されていることも出世と縁起が良い場所とされている理由です。その城主で老中になった人物には、水野忠邦もいます。教科書にものっていた、天保の改革が有名です。

そして次は元城町東照宮について⇒

元城町東照宮は浜松城とは道を挟んだ反対側と、すぐ近くにあります!なので本殿の左手から天守閣を眺めることができます。

ここでもう一つ東照宮について。

東照宮とは、徳川家康=東照大権現を祀っている神社です。ではこの東照大権現とはなにか?!それは家康が死去した翌年、後水尾天皇が家康を称えて贈った神号です。死後、天皇から別名を頂けるなんてさすが天下取りですよね。その東照大権現を祀る東照宮は、現在130社ほどあります。

ということで、その中のひとつ、元城町東照宮に戻ります。

秀吉は16歳の時に今川家臣の居城だった引間城を訪れて頭陀寺の松下氏に仕えるきっかけになりました。そこで秀吉は武者修行に励んで、18歳までの3年間浜松で成長していきました。家康は今川家から独立してこの城に住むようになりました。

こちらがその家康と秀吉の像で、本殿右手にあります。天下人二人が住んでいた場所なので、運気は最強ですね!2人の間に立って写真を撮れるようになっています。

家康は浜松に住んでいる間、武田信玄に領土を侵されて織田信長から浜松を去るように命令されていました。しかし逃げずにここから出陣して武田軍に挑みました。これが三方ヶ原の戦いで、敗北しましたがなんとか生還しました。ただ武田軍に城まで踏み込ませることはせずに撤退させました。今川家や織田家の命令をこのとき初めて無視して、自分の意志で武田軍と戦い浜松城とその領民を守り抜いた武将です。

それとこの家康と秀吉像の奥には神木があります。また浜松城公園内にはもう1体別の家康像があります。

さらに、元城町東照宮の手水舎には、日光東照宮にあって有名な眠り猫が隠れていますので、探してみてください!

元城町東照宮までのアクセスについて

・バス:浜松駅からバスが出ていて、徒歩4分くらいのバス停があります

・車:浜松城公園に100台以上停められる駐車場があります。浜松城・浜松城公園利用者は無料なので、元城町東照宮とセットで楽しめます。東照宮は駐車場の道の反対側なので信号を渡ればすぐです。

2人の天下武将が過ごした場所、出世・恋愛・心願成就のパワーがありますのでぜひ行ってみてください!

今回も最後まで読んで頂きありがとうございます。

コメント

タイトルとURLをコピーしました